時代めぐりウォーク 子どもガイド「佐田秀歌碑」
佐田秀歌碑
これは、佐田秀の歌を刻んだ歌碑です。
天皇のために力を尽くした秀は同時に、優れた歌人でもありました。仕事を辞め、静かに暮らしていたころも、轟の池をはじめとするふるさとの自然を詠んでいます。秀は記憶力にも優れていて、千首暗記すれば一流歌人とも言われる時代に四千首余りにもおよぶ万葉集の全部の歌を覚えていました。
碑には、一八六七年に長州から帰ってきた秀がふるさとである佐田を思って詠んだ一首が刻まれています。
荒れはてし 秋の故郷来てみれば
あさちか原に 月ひとりすむ
これは、久々に帰ってきてみると、故郷の佐田は長くなったススキが野原いちめんに生いしげり、いたましいばかりに荒れ果てて、ただ秋の月ひとつだけが澄み極まって冷たい光を放っている。なんともさびしいかぎりであることよ、という意味です。
また、内川野にある「轟の池」の向かいには、秀が住んでいたことを示す石碑が建っています。
This is Sada Hizuru’s kahi.
Now, I’m going to explain about it in English.
One of his tankas is inscribed on this monument.
Tanka is a traditional Japanese poem made up with 31syllables.
Hizuru was a famous poet at the end of Edo period.
He had a very good memory and memorized about 4000 poems in “Manyosyu”.
He was an expert poet and made a lot of poems about the beauty of his hometown.
So he is an important person for the people in Sada.
That’s all. Thank you.