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学び満載の5年生社会見学

学び満載の5年生社会見学

 12月5日(木)に、5年生が社会見学に行ってきました。見学場所は、宇佐市平和資料館、城井一号掩体壕、ダイハツ九州中津工場、八面山平和公園です。宇佐市平和資料館でもダイハツ九州でも、説明してくださる方が、すごくわかりやすく話をしてくださいました。子どもたちは常に真剣に説明を聞き、じっくり見ながら、しっかりメモを取り、まさに目・耳・心、さらに手を使って見学していました。教科書では学べない、教室では学べないことをたくさん学ぶことができました。

【宇佐市平和資料館】
 宇佐市には戦前宇佐海軍航空隊がありましたが、なぜ宇佐に作られたかというと理由は3つあるそうです。
①宇佐平野は広いので広大な土地があったこと。
②人や物を運ぶための鉄道が通っていたこと。
③大きな物を運ぶための港が近いこと。
 資料館の中には零戦と桜花という戦闘機が展示されていました。桜花は特攻作戦のためだけに作られた戦闘機で、プロペラがついていません。つまり自分の力では飛ぶことができず、別の飛行機に吊るされて運ばれ、敵の戦艦が見つかった時に切り離され、命中するように操縦して体当たりする戦闘機です。命中した時に敵の軍艦へのダメージを大きくするために、桜花の先頭の部分には爆弾が積まれていたそうです。
 桜花を造った人は、あまりにむごい戦闘機なので造るのを拒んでいたようですが、最後は拒み切れなかったようです。戦後、その人は二度と飛行機づくりに携わることがなかったそうです。また、桜花を発案した人も戦後は隠れて暮らさざるを得なかったようです。
 宇佐から特攻に出撃して亡くなった方々は154人いたようです。その中の堀之内さんは、お付き合いしていた女性と最後に別れる時に人形をもらったそうですが、特攻機に載る時もその人形を大事に抱いて飛び立っていったそうです。もちろん、堀之内さんが戻って来ることはありませんでした。
 特攻作戦は、人の命が使い捨ての道具にされた作戦です。考えられないようなことが戦時中は行われていたのです。

【城井1号掩体壕】
 掩体壕とは、軍用機を敵の空襲から守るための施設で、コンクリート製でできていて、中は格納できるよう空洞となっています。表面は草が生えていて、上空からは分かりにくくなっています。
 この掩体壕が宇佐では50個以上作られ、現在でも11個残っているそうです。全国的にも掩体壕は作られましたが、11個も残っているところは宇佐だけだそうです。

【ダイハツ九州中津工場】
 ダイハツ九州は、ダイハツ工業の子会社で、社員は約4600人いて、1年間に約48万台の自動車を造る会社です。ダイハツ工業が一番最初に造った自動車はミゼットです。三輪の自動車で珍しかったので、記憶に残っている人もいるのではないかと思います。
 ダイハツ九州は2004年に群馬県から移転してきました。なぜ中津に移転したかというと理由は5つあるそうです。
①広大な土地があること。(中津工場の広さはレゾナックドームが25個分)
②働いてくれる人がいること。
③協力してくれる部品工場があること。
④近くに自動車を運べる港があること。(中津工場から中津港まで専用道路あり)
 ダイハツ九州では、エンジンは久留米工場で製造し、その他の組み立て等を中津工場でおこなっています。製造のためのロボットがなんと700台もあるそうです。乗用車3種類、商用車3種類、特装車40種類、合計46種類の車が生産されているそうです。車の色は特装車を含めて全部で20色ありますが、一番多く製造されている色は白だということです。
 説明をしてくださった方から子どもたちにクイズが出されました。みなさんも考えてみてください。
Q1 車1台に使われている部品の数は、いくつでしょう?
Q2 部品を取り付ける前に、ドアを外すのはなぜでしょう?
Q3 車はおよそ何分に1台のペースで造られているのでしょう?
Q4 排水する水のリサイクルの割合は?
 答えはスクロールしてページの最後(写真の下)をご覧ください。

※工場の中は撮影禁止だったので写真が少なくなっています。

【弁当を食べた鍋島公園】

《クイズの答え》
A1 15,000台~30,000台
A2 作業がしやすくなるから
A3 1分に1台
A4 40%