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内川聖一選手と「夢を語ろう」

内川聖一選手と「夢を語ろう」

 2月16日(木)に、昨年までプロ野球選手として活躍され、今年から独立リーグの大分Bリングスでプレーすることになった内川聖一選手をキャリア教育の講師としてお招きし、5・6年生に対して、「夢を語ろう」と題して、これまでの人生について語っていただきました。

 最初に内川選手は子どもたちに、「夢を持っていますか?」と尋ねました。すると、5・6年生ともに多くの子どもたちの手が挙がりました。さらに、「その夢を発表できる人はいますか。」と言われた時、堂々と言えた人がいます。子どもたちからは、「臨床検査技師か獣医」「プロサッカー選手」「警察官」「大分トリニータの選手になってJ1に上がりたい」「プロ野球選手」「歌手」「プロゲーマー」「パティシエかアイドル」「英語の先生」「ゲームクリエーター」「医療系の仕事」「薬剤師」「音楽関係の仕事」「学校の先生」などたくさんの夢が発表されました。どの夢もみんな内川選手は「かっこいいなあ。」「すごいなあ。」と認めてくれました。
 その後、内川選手は子どもたちに次のように語って下さいました。

 夢を持つことは素晴らしいし、なるべく早く夢が見つかるといいと思います。そして、夢を持つこと以上に夢を叶えるために自分が何をしなければいけないのかを考えて行動することがすごく大事です。
 私が考えてきた夢を叶える方法を説明します。プロ野球選手になるためには、ドラフト会議で指名される必要があります。ドラフト会議で指名されるためには、スカウトの目に留まりやすいように甲子園に出場することを目指しました。甲子園に出場するためには強豪校に入学すると可能性が高くなります。私は強豪校の大分工業高校の入試に合格するために勉強を頑張りました。つまり、私は夢を叶えるために逆算して物事を考えました。このように大きな枠組み(目標)が決まると小さな目標が見えてきます。例えば、甲子園に出場する前にレギュラーになることを目標にするなどです。私は18歳でプロ野球選手になりましたが、18歳に近づいてから頑張り始めるのでは遅いので、夢から逆算して考えたときに、今何をすればよいかが見えてきます。私は野球ももちろん頑張ってきたけど、勉強も頑張りました。野球選手になりたいから野球だけ頑張る、サッカー選手になりたいからサッカーだけ頑張るということは違うと思います。
 私は18歳でプロ野球選手になりましたが、プロになってからは次の夢が生まれました。日本代表に選ばれてWBCに出たい。日本代表に選ばれたら、WBCで優勝して世界一になりたいと思うようになりました。そして夢に向かって頑張り、タイトルをとれたし、日本代表に選ばれたし、世界一にもなれました。夢が叶うと、新たな夢や目標がどんどん生まれてくるので、その夢に向かって前向きに進んでいってください。そうすれば、みんなの人生がすごくいいものになると思います。
 今日一番みんなに伝えたかったことは、今の自分と夢とはすごく距離があり離れているるけど、夢から逆算して大枠の目標を決め、その目標を叶えるために小さな目標を設定し、そして今すべきことを今日から始めてほしいということです。

Q1 辛いことがあっても夢に向かって諦めなかったのはどうしてですか?
A1 何かいい結果を出す前には、必ずきついことや辛いことがありました。順風満帆の人生に見えるかもしれないけど、そんなことはありませんでした。高校時代には左足の踵をケガして手術したので3年間のうち1年間は野球ができませんでした。でも、そのお陰で、野球ができる幸せに気づくことができたし、野球ができるならもっと頑張らなければいけないと思えるようになりました。結局甲子園には出場できなかったけど、何でも途中経過だと考えるようにしていました。目標にしていた大枠から外れても途中経過なので、最終的に夢を叶えるためにどうしようかと考えていきました。ケガをしたことがダメなことだと思ったら夢はなくなってしまうけど、今は途中経過なので、これからどうすればよいかを考えていくことで諦めずに頑張れました。

Q2 野球を始めたきっかけは何ですか?
A2 私の父は高校野球の監督でした。私が生まれたのは父が国東高校の野球部の監督の時だったので、私は国東市で生まれました。子どもの頃は国東高校のグランドや野球場によく行っていたので、自然に野球を始めていました。

Q3 プロ野球になるためには毎日どんな練習をすればよいですか?
A3 人よりもうまくなりたいと思えば、チームの練習とは別に、自分がうまくなるためには何が必要かを考えて、毎日続けられるくらいの量の練習をやり続けることが大事です。チーム練習だけだと、みんなと同じくらいしかうまくならないので、みんなよりうまくなろうと思えば、みんなよりちょっと多く練習するとよいです。そのちょっとの積み重ねがやがて大きな結果になります。私はチームの練習以外に一人でできる素振りや壁当ての練習を毎日続けてやりました。

Q4 どういった気持ちで野球を続けることができたのですか?
A4 プロ野球選手になったり、タイトルを取ったり、世界一になったりするまでは、自分が活躍してやろうと思って頑張っていました。ただ、世界一になった後は、私がプレーしている姿を見て喜んでくれる人たちのために頑張ろうと思うようになりました。

Q5 人生の中で一番心に残った試合は何ですか?
Q5 WBCに3大会連続で出ましたが、1回目と2回目は世界一になれたけど、3回目の時に自分のミスで世界一になれなかった試合が一番心に残っています。

Q6 試合でミスをしてしまった時、次の試合にどう気持ちを持っていっていますか?
Q6 WBCで自分がミスして負けた時、ホテルに帰ってミスした映像を見ました。見たくないけど、ミスから逃げてはいけないので、何でこのミスが起こったのか自分の中できちんと理解しないといけないし、次に繋げないといけない。よく「切り替えろ」という言葉を聞きますが、「切り替える」ということは、ミスを忘れて次に進むことではなく、きちんと起こった物事を自分の中で理解して、認めて、次にもし同じことがあったらこうするぞと答えを出すことが「切り替える」だと思っています。

Q7 野球は楽しいですか?
A7 心の奥底では野球は楽しいと思っています。ただ、野球が仕事になるとお金をもらって野球をすることになるので、責任が生まれて結果を出さなければならない、チームを勝たせなければならないとなり、プロになってからは楽しいと思って野球をしたことはあまりなかったです。でも、結果が出た時はすごくホッとしたり、嬉しかったりして頑張ることができました。心の奥底では、打てなかったボールが打てるようになったり、捕れなかったボールが捕れるようになったり、努力して自分が目指していた選手になれたと思えた時はすごく楽しかったです。

Q8 一番うれしかったタイトルはどれですか? 
A8 プロ野球に入って18年目に、守備が上手い人がもらえるゴールデングラブ賞をとった時が一番うれしかったです。私はプロ野球に入ってレギュラーになるまで8年間かかりました。それは、守備が得意でなかったからです。自分が苦手な守備を頑張って頑張って練習した結果、ゴールデングラブ賞というタイトルがとれたことが一番うれしかったです。

Q9 これからの夢はなんですか?
A9 今大分Bリングスに入っているので、大分Bリングスがもっともっと大分県民のみなさんに応援してもらえるようなチームになったらいいし、大分Bリングスの選手がプロ野球選手になれるといいので、そのための手助けをしていきたいと思っています。
 それから、私は父に野球を習い高校時代は父が野球部の監督だったのでノックをいっぱい受けて育ちました。だから、私の子ども4人も父、すなわちおじいちゃんのノックを受けてほしいという願いがあります。そのためには、子どもが野球選手になりたいと思ってくれるように、私もまだ野球選手として頑張りたいと思っています。   

 私の父は高校の先生だったので、自分もプロ野球選手になるか、または学校の先生になりたいと思っていました。今日は、みんなの前で話ができて学校の先生になるという夢が叶ったような気持ちになりました。みんな今日はありがとうございました。