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津軽三味線奏者 鈴木利枝さんの生き様から学ぶキャリア教育

津軽三味線奏者 鈴木利枝さんの生き様から学ぶキャリア教育

 1月31日(火)に津軽三味線奏者の鈴木利江さんをゲストティーチャーとしてお招きし、6年生を対象にキャリヤ教育の授業を行いました。
 鈴木さんは小学校5年生の時に津軽三味線の演奏を聞いたことがきっかけで、三味線を習い始めました。しかし、鈴木さんが住んでいた名古屋市では一般的な静かな三味線しか習うことができず、どうしても叩きつけるように演奏する迫力のある津軽三味線を習いたく、中学校入学と同時に修行をするため愛知県から青森県津軽地方に移住しました。しかし、学校になじめず不登校になり、中学校・高校と不登校が続いたそうです。学校に行ってないと何となく引け目を感じ、家の外に出るのが怖くなり、三味線を習いに行くこともできなくなってしまいました。
 そんな時、鈴木さんのお父さんは、鈴木さんをインドに連れて行ったそうです。インドでは、学校に通えないどころか、今日食べるものがなく、帰る家もなく、行き倒れていく子ども達の姿を目の当たりにしました。インドに行くまでは、自分のことを学校に行けず三味線も習うことができず不幸だと思っていたようですが、 食べるものがあり住む家があるということが、どれだけ恵まれていることなのかに気がついたそうです。
 それから、数か月後に日本に戻った鈴木さんは将来三味線奏者になることを目指し、前に進み始めました。勉強は独学で学習し、大検や大学受験に合格し、APUに入学しました。津軽三味線も独学で努力を積み重ね腕を磨いていきました。コンクールに出るようになり、最初はなかなか結果が出なかったようですが、続けていたら賞に入るようになり、いつの間にか演奏に呼んでもらえるようになり、そして、津軽三味線を習いたいという生徒さんも出てきて、気がついたら津軽三味線が仕事になっていたそうです。

 鈴木さんは、最後に、「好きなことが仕事になることも幸せだし、たとえ好きなことが仕事にならなくても好きなことがあること自体が幸せなことなので、みなさんもいろいろなことに触れて体験して好きなことを見つけてほしいです。苦しいことがありどうしてもダメかもしれないと思っても、人生にはいろんな道があるので、諦めずに前に進んでいってもらいたいです。」と子どもたちに語りかけてくださいました。

【津軽三味線の歴史について】

 鈴木さんから教えてもらった津軽三味線の歴史は以下のとおりです。

 三味線は約400年前に沖縄を経由して日本に入ってきた。沖縄では三味線に蛇の皮が張られていたが、日本の本州には大きな蛇がいなかったため、最初は猫の皮を使っていた。しかし、津軽三味線は日本にある三味線の中で一番大きく、弾き方が強いので、猫の皮より強い犬の皮が使われるようになった。三味線は弦楽器だけど、津軽三味線だけは胴と言われている部分を太鼓みたいに叩くこともあるので打楽器とも言われている。今から百数十年前青森県の津軽地方で、三味線の弾き方が独特な叩きつけるような演奏に変わった。なぜか言うと、津軽地方では目の不自由な方が三味線を演奏することが多く、家々を回って家の前で演奏し、お米やお金や食べ物をいただいて生活していた。小さい音で上品に三味線を弾いていても家の中から人は出てきてくれないし、他の三味線と同じように静かな曲を弾いても珍しくないのでお米やお金はもらえない。そこで、他の人たちがしていない何か創意工夫をしなくてはということで、大きい音を出したり、華やかに弾いてみたりしていくうちに独特な日本で一番大きい津軽三味線が生まれていった。