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安岐の偉人「田原淳」から学ぶ~5,6年生キャリア教育~

安岐の偉人「田原淳」から学ぶ~5,6年生キャリア教育~

1月30日(木)、安岐の偉人「田原淳」の功績を、国東市民病院院長の野邊靖基先生をお迎えして、ご講演いただきました。田原淳は安岐町瀬戸田の出身で、心臓拍動のしくみを発見した病理学者です。日露戦争が始まる頃、当時の医学の先進国であったドイツに留学し、「心臓が自動的に動く仕組み」を解明したのが、郷土出身の田原淳でした。

心臓の動く仕組みを野邊先生が映像で示しながら、「難しいかな?」と心配しながらやさしく説明してくださいました。当時、世界では、心臓の拍動は、神経による「神経原説」と、心筋自体による「筋原説」の2つの論争が100年も続いていたそうです。田原淳は、心筋こそが規則正しく自動的に心臓を拍動させる「刺激伝導系」であるとする論文をドイツで書き上げ発表しました。

田原淳は16歳で開業医だった叔父の田原春塘の養子となります。春塘と同じ医学を志し、英語とドイツ語を必死に習得した後、東京帝国大学医科に進みます。そして、ドイツへ留学することを希望しますが、当時の海外留学は莫大な費用がかかりました。養父の田原春塘は淳の熱意や才能を見込んで、田畑を売ってその費用を工面しました。

田原淳は心臓の研究のため、膨大な数のプレパラートを心臓標本から作り、観察したそうです。しかし、なかなか成果が上がらず、2年の予定だった留学を養父の春塘に頼んで延長しました。医学の志を果たしたい淳のために必死に支援を続ける田原春塘もすばらしい人物です。

田原淳の発表した論文は、世界の研究者から認められます。翌年にはイギリスのキース・フラックによって心臓から電気刺激が発せられることが明らかになり、田原淳の発見とあわせ「心臓刺激伝導系」と呼ばれるようになりました。

講師の野邊先生は、「田原淳の発見はノーベル賞をもらってもおかしくなかった」と言いました。それほど、心臓拍動のメカニズムの解明に果たした大発見だったのです。

田原淳の座右の銘は「誠意通天」私利私欲をまじえずひたむきに取り組めば天に通じてよい結果が得られるという意味でしょうか。才能はもちろん、人間性にも優れ、勤勉で優しい医学者が郷土の先人であったことがうれしいですね。

最後に野邊先生に6年生が質問しました。「田原淳が大切にしていたものは何ですか?」野邊先生は「親を大切にする優しい人だったと思う」とおっしゃいました。そして、野邊先生にも質問「どうして、お医者さんになったのですか?」野邊先生は地理が好きだったので地理の先生も考えたそうです。でも「医師を目指し、命を救うためにいろいろな人たちとつながることができて、この仕事を選んでよかった」とおっしゃっていました。

講演が終わった後、「野邊先生にもっと質問したかった」という児童がいました。医療に興味がある6年生でした。小学生にとって田原淳の発見を理解するのは難しいですが、淳が目指した道やそれまでの努力、医学への熱意は子どもたちの心に響いたと思っています。

貴重な資料をもとにご講演くださった市民病院の野邊先生、この講演会をお世話してくださった安岐公民館の吉水館長、本当にありがとうございました。