
その他の活動

おやじの会作業(H28.9.25)
体育館裏の外トイレの屋根にかかる枯木とケヤキを伐採しました
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学校と放課後児童クラブとの間に立っていたケヤキも伐採しました。電線が両側にあり難しい作業となりました。
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なかよし広場のクヌギもすっきりとなりました。afterでは作業に頑張ってくれたおやじの面々が!
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心のふるさと野上校(野上尋常高等小学校)
校長室に残る尋常小学校時代の資料を紹介します。
校舎絵(当時).pdf ←クリックしてください。 |
心のふるさと野上校.pdf ←クリックしてください。 |
おやじの会作業(H27.9.27)
体育館前のケヤキの伐採を行いました。
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ついでにクヌギの木も…
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野上小玄関には……デビットスミス氏の絵画が
野上小の玄関に入ると、野上地区を描いた大きな絵画が目に入ります。画家の名前はデビット・スミスとあります。
世界各地の風景を題材に精力的な創作活動を続けた画家。(1920~1999)
大変な親日家として大分県玖珠町や九重町をたびたび訪れ、華麗な色彩と大胆な構図で九重連山や万年山などを描く。1975年から1980年にかけてイギリス南極調査に公式画家として参加し南極の大自然を描く。1989年には国連の子供の権利条約採択にちなみ、世界の著名な画家30人に選ばれる。特に英国では「灯台を描く画家」として知られ数々の傑作を発表した。
なぜ、デビット・スミス氏の絵画が野上小に
デビット・スミス氏は1994年、玖珠に滞在の72日間は、九重グリーンパークを仮のアトリエにしていたそうです。飯田に向かう途中、この野上の風景が目にとまり、「野上点描」として一枚の大きな絵が完成しました。「白山の工場、JRと川の流れ、大分自動車道そして主食の田んぼ、この風景はこれから発展する場所だ」とこの地を選んだそうです。この絵を地元の有志が買い取り保管をしていましたが、20年前野上小の子どもたちにということでこの絵を寄贈していただいたそうです。
デビット氏はどの場所からこの絵を描いたのだろうと、その場所を探索したところ、ついに探し出しました。写真と見比べて下さい。当時は高速道路は橋桁だけで、道路の部分はまだできあがっていなかったということです。20年前とかわらぬ景色でした。
野上小校長室には……後藤新平子爵の書の額装が
東京市長として関東大震災後の都市計画を策定して東京復興に全勢力を注ぎ込んだ後藤新平氏は、晩年、自らが中心となって結成した少年団日本連盟(ボーイスカウト)の初代総長として、次世代をになう子どもたちにこう言い遺したそうです。
人のお世話にならぬよう(自助)
人のお世話をするやう(互助)
そしてむくいをもとめぬよう(自制)…… 「自治三訣」
(「その時歴史は動いた」より)
なぜ、新平氏の書が野上小に
久留島武彦氏の紹介で、大正15年8月15日より全日本ジャンボリーが飯田高原でひらかれた。そのおり、野上小学校はボーイスカウト隊が飯田に登る中継基地としての役割を果たし、後藤新平氏も立ち寄られた。このことを契機として郡内では少年団結成の気運が急速に高まってきた。 (野上小学校~112年のあゆみより)
野上小校長室には……久留島武彦先生の書の額装が
口演童話作家久留島武彦先生が昭和34年に書かれた額装があります。 「臨則誠 昭和三十四亥歳暮八十五叟武彦」と書かれており、「まことにのっとってのぞむ」という意味の「臨則誠」とは、野上小学校の学生たちに贈った久留島先生のメッセージです。
没年が昭和35年なので、晩年の作品ということになります。
野上小体育館今昔
野上小学校体育館は昭和45年に建てられました。それから44年後の今年(平成26年)、体育館大規模改修が行われました。
↑ before (2014年7月撮影) *ありがとう体育館集会
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↑ after (2014年11月撮影) *おかえりなさい体育館集会
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↑ before (2014年2月撮影) *大規模改修前(全景)
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↑ after (2014年12月撮影) *大規模改修後(全景)
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↑ before (2014年7月撮影) *大規模改修前(室内)
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↑ after (2014年12月撮影) *大規模改修後(室内)
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わずか4ヶ月の工事で、すっかりきれいになりました。大切に使っていきます。
駐車場の木々を伐採しました!……おやじの会作業 (H26.9.28)
9月28日(日曜日)、第2回おやじの会の作業で、小学校の駐車場そばの銀杏、クヌギの木の伐採をおこないました。秋になると枯れ葉が舞い、近所に随分迷惑をかけていたみたいです。
↑ before (2013年11月撮影) ↑ after (2014年9月撮影)
野上祗園(ぎおん)を調べました(3年、総合学習)
総合的な学習の時間で、「野上じまん」をテーマに学習をしている3年生が、『野上祇園のひみつ』を作成しました。
ゲストティーチャ―の日野爾郎先生がお話されたこと、祇園に向けて準備したこと、実際に野上祇園の山車を引いて感じたことをもとに、作成しています。野上祇園のすばらしさをたくさんの方に知っていただきたいという思いで、ホームページにのせました。
(1) ゲストティーチャー日野爾郎先生 |
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*この続きはこちらをクリックしてご覧下さい!! →→ ◆◆野上祗園のひみつ(リンク)◆◆
校地の移転前(野上小は以前は現野上公民館駐車場にたっていました)
昭和30(1955)年2月に旧4ヶ町村(野上町、東飯田村、南山田村、飯田村)が合併して、現在の九重町が誕生しました。
その頃の野上小学校は現野上公民館付近にたっていました。昭和30年には老朽化が進んだ校舎の屋根替えの大修理が行われたという記録が残っています。昭和35年4月には、現在地(野上北区)に校舎が建設され、学級数18、児童数872名での教育が開始されました。
昭和30年当時(移転前)の校舎と運動会
現在の野上小学校(国道210号線沿いにあります)
現在の校舎は全景を写すのになかなか良いアングルが見つかりません。グルッと一周して2枚の写真になりました。
*「ゆふいんの森」号が通過しました。グッドタイミング!
ななつ星列車の走る学校(Part1)
先週からは学校の横を今話題の「ななつ星列車」が走っています。
校舎の真横を通るので特に2階・3階の教室からの眺めは最高です。
火曜日と金曜日は子どもたちの歓声があがっています。
きっと列車の中からは、一生懸命手を振っている子どもたちの表情までみえていることでしょう。
しばらくはブームが続きそうで、「ななつ星列車の走る学校」と自慢できるかも!
(10月4日)
ななつ星列車の走る学校(Part2)
今週からはいよいよ本格始動です!
マスコミにも取り上げられ、子どもたちにも大人気!
今日は帰りの列車にみんなで旗を振りました。3泊4日の旅もいよいよ終わりですね。
たくさんの歓声に「ななつ星」も「ぼーぼーぼー」長い警笛を鳴らしてくれました。
(10月18日)
ななつ星列車の走る学校(Part3)
ななつ星列車の運行も3週目に入りました。
さすがに子どもたちの歓迎ムードも少し下火に・・・・・? 窓から旗を振ってはいましたが、歓声はそれほどでも!
普通(日常の)出来事になりつつあるのですね。少しほっとしました。
乗客の方もまわりを気にすることなく、ゆっくりと豪華な旅を満喫していることでしょう!
今日は、最後尾のDXスイートの窓、7号車を撮影してみました。
(10月29日)
校舎まわりの木々の伐採をしました(H25,9,15)
親父の会の作業で、校舎まわりの木々の伐採をしました。おかげで、校舎壁面の絵画や時計が見えるようになりました。
↑ before (2013年4月撮影) ↑ after (2013年9月撮影)