6年生 作品世界の広がりを味わう ― 第2回校内授業研究会 ―
9月17日(水)、第2回校内授業研究会として、6年2組の国語の授業を全学年の教員で参観しました。
教材は、宮沢賢治の『やまなし』。幻想的な描写や象徴的な表現を味わいながら、作品世界を深くとらえることをねらいとした授業です。
子どもたちは、本文に描かれた「五月」と「十二月」の場面を比べて読みながら、自然の移り変わりや生き物たちの変化、そしてそこに込められた作者の思いに迫っていきました。にぎやかな音や命のやりとりが描かれた「五月」と、静けさの中に“やまなし”が沈んでくる幻想的な「十二月」――対照的な2つの場面を読み比べることで、自然の厳しさと美しさ、そしていのちの営みに気づいていく姿が見られました。

賢治の世界観をより深く理解するために、『イーハトーブの夢』も並行して読みました。夢のような自然描写の中に現れる静けさややさしさが、『やまなし』の世界と重なり合い、子どもたちの読みをさらに広げていきました。
ある子どもは、「五月はカワセミが来て怖かったけど、十二月にはやまなしが落ちてきて、いいこともあった。つらいことがあっても、あきらめなければいいこともあると伝えたかったのでは」と感想を語っていました。
また別の子どもは、「賢治が中学時代に自然災害で農作物がとれず、食べ物が少なかったから、イーハトーブの川の中のカニたちのように、すぐそばに食べ物があるような暮らしにしたかったのでは」と、『イーハトーブの夢』と重ね合わせながら、自分なりに題名『やまなし』の意味を考えていました。

教室には、前時までの学習履歴を紙媒体でも掲示し、「これまでの学びの流れ」をいつでも確認できるようにしていました。
また、授業の導入では、クイズ形式でこれまでの要点をふり返る場面を設定。正解・不正解にこだわらず、楽しみながら振り返ることで、子どもたちは自然と学習内容を思い出し、安心して本時の学習に入ることができていました。



グループ別の対話活動では、読む視点の違いや感じ方の違いにふれることで、新たな気づきを得たり、自分の考えを問い直したりする姿が見られました。グループを変えて行った意見交流では、「先生、もう1回移動しよう」と、より多くの人と読みを交わしたいという声が子どもたちから自然に上がってきました。一人で深める読みと、友達と語ることで広がる読みの往復が、学びの深まりにつながっていました。






子どもたちは、これまでの学習履歴(スタディログ)をもとに、自分の読みを振り返りながら、考えをじっくりと形にしていきました。学びの過程がタブレット上に蓄積されていることで、自分の読みの変化に気づきやすくなり、友だちとの対話や教材との再読の中で、「今の自分はどう考えているか」を根拠をもって整理する姿が見られました。
単元のまとめとして取り組んだのは、「紹介カード」の作成です。子どもたちは、タブレット端末を活用しながら、次の3つの内容をA4サイズ1枚に整理していきました。
① 「五月」と「十二月」の情景を絵に表したもの
② 『イーハトーブの夢』で知った宮沢賢治の人物像をまとめたもの
③ 題名を『やまなし』にした賢治の思いについての自分の考え
これらに加えて、④「友だちとの対話活動の中で得た新たな気づきや、考えの深まり」もカードに反映されています。自分では気づけなかった視点にふれ、「そういう見方もあるんだ」と読みを問い直す姿も見られました。こうした対話を通した読みの変化が、子どもたち一人ひとりの紹介カードににじみ出ており、学びのプロセスそのものが丁寧に表現されていました。
さらに、振り返りの場面では「自分の考えに変化があった人はピンクのカードを使う」という仕掛けを取り入れました。考えが深まったことや、新たな視点に気づいたことを“色”でみえる化することで、自分の読みの変化を意識しやすくなり、またクラス全体でも「変化がある学び」を価値あるものとして共有することができます。






前時では、子どもたちが『イーハトーブの夢』から宮沢賢治の人物像に強く目を向けていたため、『やまなし』という作品そのものについて考える時間がやや少なくなっていました。そこで次の授業では、物語の本文にあらためて立ち返り、「五月」と「十二月」の場面を比べて読む学習を行いました。
この再読の学習では、これまでにスタディログに蓄積してきた気づきや疑問が大きな助けとなりました。子どもたちは、自分の記録を振り返りながら、「どこに注目して読めばよいか」「どんな疑問がまだ残っているか」を確かめ、より深く作品に向き合っていました。これまでの学びを土台にした再読だからこそ、題名の意味についての考察もより豊かになっていったようです。


