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父の言葉に込められた思い ― 物語『ガラスの小びん』より ―

父の言葉に込められた思い ― 物語『ガラスの小びん』より ―

5年生の教室で、『ガラスの小びん』という物語を読みました。
作者の阿久悠さんは、八代亜紀の『雨の慕情』やピンク・レディーの『UFO』などのヒット曲を手がけた作詞家としても有名です。
この作品は、1990年代半ばに光村図書の教科書のために書き下ろされたもので、40代前半の方の中には、学習した記憶が残っている方もいらっしゃるかもしれません。
物語は、主人公である「わたし」が、ガラスの小びんを手にしている場面から始まります。

あらすじは、次のとおりです。

あらすじ

「わたし」はガラスの小びんを持っています。今は空っぽですが、とても大切なものです。
この小びんは、もともと父のもので、中には「甲子園の土」が入っていました。父は高校生のとき、野球で甲子園に出場し、そのときに持ち帰った土を宝物のように大事にしていました。土は、父の誇りや自信のしるしでした。
けれど「わたし」は、父が小びんを大切にする姿をうとましく思うこともありました。小学6年生だったある日、父に強く叱られたとき、反発して小びんの土を庭に捨ててしまいます。すぐに後悔した「わたし」でしたが、もう取り戻すことはできません。
父がどんなに怒るだろうと思うと、不安でいっぱいになりました。
その夜、謝る「わたし」に、父は「甲子園の土」と書かれたラベルを爪ではがし、こう言いました。
「怒らない。その代わり、お前がこれに何かを詰めるんだ。お父さんの甲子園の土に代わるものを詰めてみせてくれ。」
それからもう何年も経ちます。しかしガラスの小びんは、まだ空っぽのままで、「わたし」は何を詰めるのか、まだ決められないでいます。

『ガラスの小びん』の父の言葉には、とても深い思いがこめられていると感じます。息子が大切な土を捨ててしまったとき、父は過去の名札を外すようにラベルをはがし、「これはもうお前の小瓶だ」と託しました。罰するのではなく「代わりに詰めなさい」と「課題」を手渡し、空っぽのまま残すことで、息子自身が中身を見つける余白を与えたのです。

その姿勢には、「自分の過去よりも、子の未来を大切にする」という思いがあったのだと思います。自分の誇りを押しつけるのではなく、器だけを差し出して「君の物語を入れてほしい」と願う。そんな信頼が父の言葉ににじんでいます。

子どもの過去の失敗を責めるのではなく、未来への問いをそっと手渡すこと。空っぽの小瓶に何を入れるのかを決めるのは子ども自身です。その余白を信じて託す姿勢に、教育の本質を感じる作品です。

子どもたちの声

    • 小びんの中には、甲子園に出た喜びやじまん、くやしさがつまっていると思う。ぼくだったら、バレーでがんばったじまんを小びんにつめます。
    • 自分の家族だったら、大切なものをこわしたりしたら怒られるけど、この物語の父は怒らなかった。そこがちがうと思った。自分だったら、体操や習字でがんばったしるしを小びんに入れます。
    • わたしだったら、いろいろな経験をして、うれしかったことや悲しかったこと、大切なこと、幸せをいっぱい小びんにつめて、お父さんに見てほしいです。
    • ガラスの小びんはまだ空っぽだけど、まだ決められないのはいいことだと思いました。わたしだったら、学校を卒業しても学校の思い出を忘れないように、学校のグラウンドの土を入れようと思いました。