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学校案内

都野の『歴史・文化・自然・くらし』の紹介
2014年04月01日
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◇万葉集にも詠まれた都野

朽網山(くたみやま) 夕居る雲の 薄れ行かば   われは恋ひむな 君が目を欲(ほ) り                                                          

                                                      ◇歌の意味

朽網山にかかっている雲が夕方には薄れてしまうと、私は恋をしたくなります。あなたにお遭いしたくて。

 

 

朽網山は久住山の古名とされていて、この都野地区一体は古くから朽網郷(くたみごう)とよばれていました。学校から歩いて10分のところにある都野公園には、久住山・大船山を背後に立派な石碑が建てられています。こんな立派な歌碑はまれだといわれています。
       

◇七里田温泉の歴史

昔々、大船山(朽網山)は噴火していて、そのふもとを流れる七里田川にはいくつもの温泉が湧き出していました。弥生時代から古墳時代には、この地方が温泉を中心に栄えていたことは多くの遺跡が物語ってくれます。鎌倉時代から戦国時代にかけてこの地方を治めていた朽網氏は「温泉はこの地方の宝なので、土地の決め事を守って修理や掃除など怠りないよう申し付けなさい」という教訓状を与えています。この七里田温泉を大切に扱っていたことがよくわかります。江戸時代にこの地を収めたのは城主中川氏でした。岡城三代目の中川久清公は山が大変好きな人で、七里田温泉に御茶屋を建て、藩主専用の浴槽まであったそうです。十代目の久貴という殿様も約半月も湯治に利用したという記録も残っています。

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 ◇大船山(左)と黒岳(右)

大船山~標高1,789m 標高もほぼ同じ久住山と並ぶ九重連峰の主要峰。頂上近くには、御池、米窪、段原の3つの火口跡があり、御池は円形の火口湖となっている。山腹にはミヤマキリシマの群落が見られ、国の天然記念物になっている。

 黒岳~標高1,587m 大船山の北東側に位置する。前岳、天狗岩、高塚山などの峰からなる鐘状の火山。南側の竹田市から見ると、仰向けになったおたふくの面のように見えることから「おたふく山」とも呼ばれる。ミヤマキリシマなどの高山植物が見られる他、国の天然記念物であるイヌワシの南限とされている。

       
       
       
       
       

◇宮処野神社 

宮処野神社の始まりは、古事記や日本書紀にある景行天皇が九州征伐の途中、禰疑野(ねぎの)の土蜘蛛を征伐したときの行宮(仮宮)跡に同天皇をお祭りしたことに始まると伝えられています。こののち嵯峨天皇を祭神としていることから別名嵯峨宮と呼ばれるようになりました。明治4(1871)年には、宮処野神社として改称されました。

  

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◇神保会 

宮処野神社で10月に行われる秋の大祭は神保会(じんぼえ)の名前で親しまれています。昔、新任国司が有名大社に神宝(シンボウ)を奉った「神保会」に由来するといわれています。これは3対の神輿が2組の白熊(はぐま)と3組の獅子を共に従えて、石田の神社まで練り歩くもので、大分県の無形民俗文化財に指定されています。この祭りの歴史は古く、獅子頭の墨書名銘から室町末期には獅子舞が行われたことがわかっています。