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学校からのお知らせ

「なかよし像」の由来について
2018年08月01日

 校庭の相撲土俵の西側,車で校庭に出入りするときの入り口のすぐ横に「なかよし像」があることをご存じですか。

 本日,現在東京にお住まいの卒業生から問い合わせの電話がありました。「在学中に,児童が交通事故で亡くなった話を聞かされたことを覚えています。校庭にその件に関する碑があったと思いますが,今はどうなっているのでしょうか」と。幼心にかなり印象に残っていたようで,現在の様子が気になり問い合わせたようです。

 せっかくの機会でもあり,是非皆さまにも覚えていて欲しく平成24年2月当時の小宇佐校長の文章が残っていますのでご紹介します。

なかよし像の由来

 校庭の北側に男の子と女の子が向かい合い,両手を差し出しハトを手のひらにのせている白い像があります。このような像があるのは,日田市内では日隈小学校だけです。これは「なかよし像」といいます。

 今から52年前の昭和35年(1960年)12月19日の午後の6時頃,あたりが薄暗くなってきたころの出来事です。日隈小2年生の立花司ちゃんが,トラックにはねられ交通事故で痛ましい死を遂げました。この事故は,日田市で初めての小学生の交通事故死だったということのようでした。ご両親をはじめ,日隈小の先生・子どもたち・地域の方々も,司さんのかけがいのない命が思いがけない事故で失われたことに深く心を痛めました。

 事故から一週間後の霜のはげしい朝のことです。司ちゃんが幼い頃,その成長を祈ってお父さんが大原神社の植木市で買い求め,自宅の庭に植えていたという「ヒマラヤシーダ」2本が,お父さんの手によって校門前(現在の運動場道路側の入り口)の両わきに移植されました。子どもたちは,「司ちゃんの木」と呼んで,大事にしました。(1本は「なかよし像」の後ろにそびえ立っているメタセコイアの手前に。もう1本は,外トイレ近くのしだれ桜より少し「なかよし像」側に植わっていましたが,台風などで木が痛み,残念ながら切り倒されてしまいました。切り株は残っています。)

 司ちゃんが亡くなって1年後(一周忌)に,司さんのご両親が,「二度と痛ましい交通事故が起こらないよう,日隈小の子どもたちが,なかよく・安全で健やかに育ってくれるように…」との願いを込めて「なかよし像」を建ててくださいました。それ以来,毎月19日を日隈小「全校安全の日」として,みんなの安全を守り安全に対する意識を高めるための集会・活動などが継続されてきました。

(「なかよし像」は,はじめ旧校舎の正門右側の校長室横に建てられましたが,新校舎建築のため,現在の運動場北側に移転されました。)

 また,この痛ましい出来事がきっかけとなって,校区総ぐるみで通学路の舗装を進めましたし,願正寺の南木さんが毎朝,亀山橋の交差点で交通指導をしてくださったり,育友会でおうちの人が毎朝交代で各町内の要所で子どもたちの登校を見守るということも始まり,今も続いています。

*この説明は,開校20周年記念誌の2代目校長井倉義雄先生の「日隈十年思出抄」と当時を知る方からの情報をもとに記しました。

平成24年2月 学校長 小宇佐 尚志』

 いかがでしょうか。

 今でも毎週水曜日の一斉下校時,月命日である19日に近い日は「なかよし像」の前でこの話を思い出しながら全校でさようならをします。

 残念ながら「なかよし像」の東側にあったメタコセイヤの木も,古くなり危険なため切り倒されてしまいました。しかし子どもたちの安全への思いは今も変わっていません。教員,保護者,地域で子どもたちを守っていきましょう。

 お問い合わせをいただいた先輩,安心して下さい。今も子どもたちへの安全を思うモニュメントとして「なかよし像」は受け継がれています。